きれいに踊りたい
一年とちょっと経って、ようやくはじめの頃に言われたクカラチャの大切さがわかってきた。
じゃあ最初からやっとけばって話になるんだけど、やっぱりそれはむりだったと思う。
だって始めたばかりでクカラチャ教えられても、正直つまんない。
そう、基礎の練習は基本的に地味。地味なくせに技術が必要になる。
なので初心者には何をやっているかが理解できない。できないことばかり要求されると悲しくなってくる。
だからはじめたてはたぶん足型レッスンで間違ってなかった。
あの頃に基礎練ばっかりやってたら、やっぱり私も嫌になってやめてたと思う。
それより組んで踊りたかった。なんか踊れた!って経験をしたかったから。
これはみんなそうだと思う。
はじめからクカラチャとウォーク教えてくださいって意気込む人はまあいないだろう。
だってみんなきっと人が踊るのを見て、ああやって踊りたいと思って始めるんだから。
で、先生とならなんか知らないけど踊らせてくれるわけだ。それで自分もテレビで見た上手な人たちのように踊れた気になる。
でも本当のところはぜんぜん踊れていない。うまい人が一生懸命運んでくれているだけ。
どこかでこのままではだめだと気がついて、ようやく基礎に戻るのだ。
ではどこが分岐点になるかというと、私の場合は自分が踊る動画を見たところからだった。
さらにいえば、歴は同じでもすでに上手な人と自分の踊りを見比べたとき。
何が違うんだ?と考える。そして気づく。基礎がなっていないからだと。
うまい人はダンスの動きをしている。私はダンスになっていない。なんか…体操?
ただ手足を動かしているだけなのだ。音楽性も芸術性もない。
もう自分が楽しければいいという時期は卒業したいと思った。
見ている人も楽しめるダンスがしたい。
義務感からじゃなくて、私自らの意思でそうしたいと思った。
結局おじさんの言ったことは間違ってなかったんだな。
ただ、これって他人にどうこう言われる問題ではないのだけど。
変えたいと思ったタイミングで自主的に習いに行くから。
社交ダンスって、習っているうちに目的がどんどん変わるのかもしれない。
はじめは楽しく踊りたかった。
今は楽しく、きれいに踊りたい。
社交ダンスの先生って大変そうだ。
生徒がどの時期にいて、何を目的としているか判断してアドバイスしなきゃならないんだからなあ。
踊りを見ればだいたいの歴はわかるんだろうけど、どういう目的かは本人に聞かないとわからないだろうし。
だから生徒の方からも要望はどんどん言うべきだと思う。
最近レッスンを受けていて、ここから先は先生の指導でどうこうできる領域ではないなと思うことがある。
クカラチャもその一つ。先生はやり方を教えてくれるが、自分で反復練習しなければ身につかないのだ。
先生は道を示してはくれる。でも実際歩くのは自分だ。
自分の体のことは自分が一番よくわかる。すべてを先生に丸投げしてはいけない。